新思潮No.121 2013年7月号より
ふたたび子は二千マイルの風を行く 姫乃彩愛
 前号の青絃集に「ー二人の子 卒業ー」とあったので続きとして読む。「這えば立て立てば歩めの親心」とはよく言ったもので、義務教育を終えれば次は高校進学、その次の学校、社会への旅立ちなど親の期待はなかなか止むことはない。
 それと共に子が次のステップを上手に踏んで歩んで行ってくれるのかと心配も尽きない。子の不安であろう気持ちも「二千マイルの風」に表現されており、母としての愛情溢れる応援歌にもなっている。 〈古俣麻子〉
なぞるたび雨の領域ふくらんで 西田雅子
 作者の作品化に至るまでの心の詩的フィルターを通過した言葉たちは、一様にやさしい。叫んだり、奇を衒ったりするような粗雑さがなく、言葉の綾の美しさに流されることもない。落ち着いた中にも、気丈さの窺える作風なのだある。だから読者も変に構えることなく、自然体で雅子作品と接すればよいのだ。
 掲出句は、「雨の領域ふくらんで」の情緒に世界にいざなうフレーズが絶妙だ。高校二年生のときに見た映画「カサブランカ」の手紙の文字が雨に滲んでゆくシーンを思い出し懐かしくなった。〈細川不凍〉
段差あり吾発つ汽車と桜餅 矢本大雪
 毎号、季節の絶妙な取り入れ方とボキャブラリーの豊富さに舌をまきながら、大雪さんの作品を注目している。私情をあからさまにするのを良しとしない作風のように思われるが、季語は季語としてのみならず穿ちを感じさせるから奥が深い。俳句と川柳の境にある小高い丘の上から悠然と両方を見守っているような寛大さを感じるのだ。
 川柳しか知らない私から見ると桜餅は女性の擬人化に思えて、汽車はもちろん男性なのだが、吾立つ汽車(電車でも機関車でもない)というのが、男性の持論、あるいは言い分であって、桜餅のようなお嬢さんとの間には小さな齟齬を感じてしまうというように読んでは、楽しさを憶えてしまうのだ。〈古俣麻子〉
私でもいいかいいかと月へ漕ぐ舟 吉田州花
 この"月"は一つの憧憬であろうか。それに向かってひたすら船を漕ぐ様子が想像できる。夢や憧憬の具体像として"月"があるのだ。情況を単純化している点で童話の中の一シーンを思わせる。〈岡田俊介〉
薬瓶よりも夕日に濃く染まる 寺田 靖
" 薬瓶"の語からは病床の記憶が甦る、あるいは熱の目で見た薬瓶を思い出すだろう。このごろ薬瓶を見ることもなくなって、薬瓶の風景は霧の彼方の出来事になっている。つまり、非日常の風景の象徴として薬瓶があり、薬瓶を染める夕日も非日常のもので、その光景はことさら美しい。
 この句は夕日に染まった自身を薬瓶よりもさらに濃い風景として表現している。非日常の夕日に染まる感覚に浸っているのだ。〈岡田俊介〉

水彩に溶かす昨日今日 そして明日 月野しずく
機は西へ春の残りを脱ぎながら 潮田 夕
水は只々流れ昨日というかたち 大橋あけみ
生きてきたこの世をなぞる白椿 元永 宣子
水より生まれ水に死ぬとき降ることば 澤野優美子
☆121号は特集号です。
 ・特集「現代川柳を飛翔した作家たち」
  岸本吟一篇「『迷走』の本質―つららは水に」 梅崎流青
  時実新子篇Ⅰ「佇む少女―その軌跡」 岡田俊介
       Ⅱ「河川敷百里―『川柳展望』時代」 古谷恭一
  橘高薫風篇「薫風曼荼羅」 木本朱夏
  寺尾俊平篇「寺尾俊平―人と作品」 古谷恭一
  松本芳味篇「松本芳味小論―沙漠の難破船」 矢本大雪
  福島真澄篇「福島真澄の抒情―水時計のつくる景色」 岡田俊介
ほかに読みものとして
 ・エッセイ 「ひとすじの光り」 杉山夕祈
 ・松丘町二作品について「川柳と叙情」 ―矢本大雪による選出76句と解説
 ・随筆 「夕べ湯島にて」 松井文子
以上掲載されています。

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