新思潮No.122 2013年9月号②
船頭も消えて白夜に残される 寺田 靖
 作品のなかに物語性を持ち込んで新鮮な作品に仕立てた。”船頭”がその物語の中でひとつの位置を占めるだろう。自身を運んでくれた船頭なのだろうが、それも消えて残るのは白夜ばかりという非日常の中に残されたのだ。
 この非日常の創造に当たっての”船頭”の役割が作品を引き立たせている。なぜ運ばれたかの物語は具体的には語られず、背後に余韻として残されている。 〈岡田俊介〉
硝子の林檎ぱりんぱりんとわだかまり 澤野優美子
 抽象画を動画にしたような作品だ。”硝子の林檎”をぱりんぱりんと食べるシュールな絵柄が新鮮だ。こころのどこかに潜む”わだかまり”が生んだ光景なのだ。内面の痛みを表現するのにシュールな映像を創出した創造的な作品。 〈岡田俊介〉
無尽を願い南瓜の蔓は延びてゆく みとせりつ子
水の月 紫陽花慰籍のごとく咲き 杉山夕祈
 伸びやかなみとせ作品に、懐かしい景色を思い出した。真っ直ぐが好きな母はある日、南瓜蔓を畦道に這わせた。一緒に散歩を楽しんだ南瓜蔓は、皆に笑われ励まされて十数メートルも直進した。無尽を願ってくよくよしない南瓜の性格が、花と実を成しているように思えた。
 美しい杉山作品、紫陽花は花邑が大きくなるに従って垂れ、雨に打たれてますます深く頭を垂れる。あれは確かに「慰籍」の姿。しかし、慰められている者以上に、咲くこと・濡れていること・そこに在ることさえ密やかに否定しているようで、心なしか辛そうに見える。
 もう一つの夕祈作品「花空木 手折れば芯しん孤独なり」が、作者と読者の孤独感をより深めている。
 お二人の作品は心の両極にあり、私達は南瓜蔓の陽気さに励まされ、濡れ紫陽花の小暗さに慰籍されている。 〈岩崎眞里子〉
来し方を薔薇の香りに包まれつ 松井文子
娘は母を招きモナリザなる個室 松井文子
 松井文子は丸の内のビルの最上階の皇居の見えるレストランで、至福のひとときを過ごしたようである。松井の文体は正確に小気味よくその情景を映し出す。中でもこの二句は至福の気分をよく表わしている。
 薔薇の香りで思わず、自分の来し方を思いやっての感激であり、モナリザの微笑のうかがえる個室も至福のひとときの会場に相応しい設定なのだ。幸せな気分はなかなか句にしにくいが、松井は容易く作品化する表現力を持っている。 〈岡田俊介〉
幸せを数えてからの朝顔日記 月野しずく
 毎日朝顔を咲かせてはその成果を日記にしたためる。実際にしたためても、したためなくても、ひとときを朝顔にこころを委ねるのだ。幸せが背後にあっての朝顔であることは作者が一番承知していて、あたかも幸せが咲くように朝顔が咲く様子がある。
 この句からもいきいきと朝顔の世話にいそしむ作者の表情が見えてくる、女性を描いた絵を見ているような作品だ。 〈岡田俊介〉

しずかに静かに一滴を汲みそして 西郷かの女
わが庭に一輪咲けり微風の従妹 西条眞紀
向き合って笑みクレソンのほの辛き 伊藤寿子
口中にシナモン靜む秋さえロダン 山内 洋
 
ことごとく瞽女の黒髪吹きあげて 松田ていこ
面構え落とさぬようにうたたねす 酒谷愛郷
つつじ終え鎖骨の音の静かなる 柴崎昭雄
ガラスの雨 坂落ち行きて終電車 小林ひろ子
 
今日という卵零時に孵化をする 福井陽雪
海を見ている八月の銀スプーン 山辺和子
秋蛍眠るがごとく谷の底 鮎貝竹生
遠い日の空を切り取り水の森 斎藤 漣
枇杷をもぐ あんぐりと山をもぐ 大谷晋一郎

2013.10.16

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