新思潮No.126 2014年5月号④
-神戸研修句会(2013年11月23日) 2―  (作者未知の時点で)
   ※秀句推薦者  ・佳作推薦者
ふわっと立ち上がる思想らしきもの 内田 万貴
※眞里子 ※寿界 ※純一 ・恭一 (眞里子) 解読不要、感知するのみとしか、自分の中には書いてないんです。ただ、思うこととか考えること、まして、悩むこと迷うことはたくさんありますけれど、それらはすべてビーズを散らばせたように、点々点とあるもので、何かの瞬間にふわっと繋がって立ち上がってくるような、そんな気持ちが時々あります。
 そんな自分の感じていることが、この句を見ていっぺんにそうだと思ってしまった訳で、飛んでいった風船をやっと掴まえてしまったような、そんな気持ちがあってつい○を付けてしまいました。
 
(寿界) 思想と言う言葉を使うと、通常硬い句になりますが、それを上手に柔らかく表現されたところ、思想という言葉を大上段に構えなかったところが、この句の成功したところではないかという気がしています。静かな激しさを感じるんですね。
 
(夫美子) 採られなかった眞紀さん。いかがですか。
 
(眞紀) 私 の受け取り方として、火花が散るか散らないかで作品を分けております。その中で、この作品は火花が散らなかったですかね。ちょっと残念ですが。
 
(夫美子) 採られなかった方で繁夫さん、いかがですか。
 
(繁夫) 往々にして眞里子さんがおっしゃったように感じることがあるんです。しかし、思想らしきものの中に創作者の問いかけがあったと思うが、締めとして、反対の抒情というものを入れたほうが、句の礎がしっかりしてくる。
 思想らしきものとした逃げの体言止め、切断されたような構成がね・・。全体的な作品の骨格と言うか、そういうものがもうちょっと欲しかったと僕は思いました。
 
(寿界) 繁夫さん、僕はね、繁夫さんのおっしゃられたことはよく分かるんですがね、この作者は安易な感情移入をされてないんですよ。だから僕はこの句がいいと思うんですよ。
 
(繁夫) 僕は、文芸は感情の動きがなければ、あかんと思うんです。骨格ができても、作品の肉体なく
しては。思想的な骨格が出来た中に、人間の情感を入れるものであるから、もう少し情感があってもいいのではと思う。それがリリシズムになるのではと感じました。
 
(俊介) やゝ、観念的なところがありますね。思想だけの話だから、作り方としては、ふわっとで曖昧に、らしきものも曖昧にしているから、曖昧が多いという感じはします。
 
(恭一) 思想とは、頭の中でまとめた思考の塊で、言葉や文章にすると固定化して、融通が利かなくなりますが、要は思想も生きもので、頭の中でふわっと立ち上がって来る。そういうふうな自分の感情を代弁しているような作品と思って、躊躇したところもありますが、自分では作れないと思って採りました。
 
(洋) 作者がエネルギーを抜いた句ではないかと思うんですよ。武術が十一段ぐらいの人が、鹿がいるから両手でふわっと受け止めたような作品ではないかと思いました。
 
(作者) こういう感じを日常に感じる時があって、句会などで選んだり、人の句を聞いたりする、その自分の感じを集めてみれば、思想というものはこういうものかも知れないなとか、そういう考えから出た句です。

覗いたのはその青のまだ奥の青 山下 和代
※一葉 ・恭一 ・大破・ 眞紀 ・夕祈 (一葉) 未熟な私ですが、この句は好きでいただきました。見た青ではなく、覗いたのはその青、まだ奥の青と、青が二つきていますが、違いのある青と理解して採りました。青と言ったら自然の空の青。今日も天気がよく、ここへ来るまでの2階バスから見る空の青がきれいで、鳴門の海の青にも出会って・・。
 いずれも自然の中の青ですが、それを川柳として捉えていくと深い。この作者は、一点を深く追求する方ではないかと思いました。また、自然の青だけでなく、人間的に見ることもでき、私は看護の専門の仕事をやってきたんですが、青と言うと顔色が悪いとか、唇が青いとか、その奥の原因などにも観察眼をもっていく。
 その青のまた青まで、集中力をもって追求していく作者と言うのは、すごく川柳でもレベルの高い方ではないかと思いました。一方、青は好感度の高い色でもありますし、寒い色でもあるし、そう思っていたら、どんどんこの句は広がっていきました。
 
(眞紀) この作品で、言葉の芸術を感じました。それと哀感の迫力も感じました。この作者に心から喝采をします。拍手を送ります。
 
(夕祈) 私は若い時に、白眼が青いと言われたことがありまして、今もまだ青いと思う時があります。それもあって、自分自身が青を引きずるような思考や見方をしてきたような気がするんです。
 青臭いというか、それが、この歳になって、自分の青春や皆と一緒だった青春を振り返った時に、その時には分からなかった青のまだ奥の青を、今感じることがあるんです。だからこの句はいい句だと、しみじみ振り返って感じました。
 
(夫美子) かおりさん、採られなかった理由はありますか。
 
(かおり) 採らなかった理由ですか。好きな句なのですが、青が好きでよく青で作句をしますので、青を使った句に心惹かれることがあります。
 特に覗くという言葉、奥の青という言葉、非常に上手いと思いましたけれど、青になるとお気に入りの句が頭をよぎったり、他の方の青の句がいろいろ出て来る訳で、それと比較してしまう。比較して多分採らなかったのだと思います。
 
(夫美子) 私も青となると、騙されないぞと思いながら鑑賞することがあります。眞紀さんの哀感の迫力と言う表現に驚きました。
 
(作者) 青ってよく出てくるんですけど、違うんだよ。普通の青じゃないんだよということを言いたくて。じゃあどういうふうに言ったらいいのかと思って、湖を覗いた時に青いとか、いやそうじゃない、もっと奥とか・・・・。そんな感じを言いたかったんです。

この風の先にしずかな手があって 寺田 靖
・繁夫 ・眞紀 ・真理子 ・彩愛 ・晋一郎 ・未知 (繁夫) 前出のルサンチマンの句と同じ思想があると思うんです。それは、風は風であり、ルサンチマンの思想そのままに風である。清新な武器を持たぬ静かな手があるということです。風があって、奴隷制度みたいな苦しみがあった。
 その道を一生懸命に生きて来た。その風が過ぎた先に静かな手が存在して、美しい生活意識が想像される。そこに永遠に追い求めている人間の憧憬、憧れがあって傷つきやすい抒情が感知される。人間の幸せとは何か、尊いきれいな生き方、そういうものがこの手の先に静かな自分の生き方があるとした、その美しい言葉に惹かれました。
 それと、透明感があって、澄み切った清澄の中に創作者の姿が見えて、そういうところに感動しました。
 
(夫美子) 内田真理子さんが本日ご欠席ですが、選評をいただいていますので紹介します。
 
(真理子) 平明な言葉のみで作られている句だが、それゆえ清々しさが際立つ。「風」の持つイメージ。それは動きであり、さざ波であり、こころ乱すものだが、この風は、さして強い風という感じはしない。しずかに風を超えれば、しずかな「手」が待っているという。
 作者を受け入れてくれる現実の「手」という読みが常套かもしれないが、私は、この手を一手(方法)として読んだ。何かの答えとしての一手。だが、作者はその一手を使うとは断定していない。「手があって」で止められ、ただ、そこにその手があると暗示しているだけである。
 美しい静物画のような、たおやかな感性の一句だと思う。
 
(彩愛) まさに一呼吸の詩だと思いました。言葉そのものに、純粋に向き合おうとした作品だと思います。しずかな手という新鮮な発想に感激を覚えました。理知と感性と情緒が織り成した詩的空間を感じるいい作品だと思いました。
 
(夫美子) 寿界さん。採られていませんが。
 
(寿界) 悪い句ではないと思うし、いい句という気はしますね。ただね、憎しみ深い断念があるような気がする。そういう感じがしている。しずかな手できれいな表現だと思うけれど、もう一つ言うと、画家の白髪一雄的な、ちょっと見えないものを描き過ぎたのではないかという気がせんでもないです。
 
(作者) 3句出した中からこの句が選ばれましたが、さっきからどう説明しょうかと不安でした。普段から作句に関しては、いろいろな言葉を頭の上でぐるぐる回しながらやるんですけれど、この句は、ぐるぐる回している中から、一つの句の形として出てきたものです。
 個人的には、考えて作った句はろくな句がないですね。自分でこれは見ていただけるかなと言う句は、句の形として出てくる場合が多いです。この句もその一つですが、安らかさを自分は常に求めているところがあって、しずかな手は自分の求める安らかさに繋がっていくのではないか。
 自分で作っておきながら、他人事みたいなことを言っていますが、そういう感じです。

おたまじゃくしが笑った確かに笑った 海地 大破
・一葉 ・典子 ・未知 (一葉) すごくインパクトのある句で、私は好きでいただきました。蛙になる寸前だとか、いろいろおたまじゃくしから思ったりしたんですけど、確かにおたまじゃくしが笑ったんだなあというのは好きです。
 
(典子) まずおたまじゃくしが笑うという発想に惹かれました。本当のおたまじゃくしでもいいですけど、音符かなとも考えて楽しい句だと思いました。そして、日頃めったに笑わないような人が、一瞬笑ったのを見たような、そんな状況かなと想像して、確かに笑ったで句が更に面白くなったと思いました。
 
(夫美子) この句を見た時に楽しい句だと思いましたが、どう解釈してこの場で伝えればいいのか分からなくて。この句を選ばれた方は、失礼ながら勇気があるなあと。(笑)本当にきちんと解釈して採られたのだと思います。
 
(未知) 私はおたまじゃくしの笑うのを見たいので、これからおたまじゃくしの時期には、池を覗きたいと思います。すごく発想が面白いと思って、是非見たい光景です。
 
(作者) 最近は皆さんの作品が上手すぎて、僕は句作れんなあという敗退感を感じています。単純で下手な句をこれからどんどん書いていきたいと、今回三つの下手な句を出しました。どういう評価を得るかという思いで書いた句で、予想以上に良いお言葉をいただきましてありがとうございました。
 
(眞里子) 質問でーす。大破さんはおたまじゃくしが笑ったのをご覧になったことはありますか。
 
(大破) 毎日見てます。アハハ。(笑)

一昼夜晒して秋を釣り上げる 中林 典子
・大破 ・かおり ・夫美子 (大破) 一昼夜晒す秋はどんな秋だろう。それからなお晒した秋を釣り上げるとは。それを説明するよりも、言葉で私は受け止めました。この言葉で胸がずーっと広がっていく秋というものをすごく感じました。
 
(かおり) 晒すは水に晒して灰汁を抜くとか、風に晒して水分を飛ばすとか、そういうことを晒すという言葉から想像しました。この句の中では、秋というのはどんな重さをもってこの作者の中にあるのか。晒しても秋を釣り上げる、自分のものにしたいという秋はどういうものなのか。
 人生の秋とか、実りの秋とか、いろいろなことを振り返る秋だったとか。一昼夜からは、いろいろと深く人生を振り返った長い長い一昼夜という感じを抱きました。
 
(作者) 作者本人も説明しにくい句でありまして、感覚的に作った句です。この秋は自分を曝け出して真っ白にした状態で、新しいものをどんどん見つけていきたいと思うような句です。
 
 もう少し続きます。
2014.7.1

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