新思潮No.127 2014年9月号より①
声になる前の林檎を剥いている 澤野優美子
 食べ頃の林檎は艶やかで芳しい香りがする。それは「どうぞ私を味わってみて下さい」との声を発しているかのようだ。しかし作者は意地悪精神を発揮して、その直前にさらっと剥いてしまうのだ。
 物事は正と反とで成り立っているが、優美子さんは作句視点を反に置いているので面白い句が書ける。〈まんなかにおとしてしまう水の月〉も然りで、茶目っけのあるユニークな表現だ。〈細川不凍〉
遠ざかる年月 魂は一本の樹に 桂 由輝花
 桂は、この世とあの世の境界に身を置き作品を書く。現世の果てに見える光景を描いている。  例えば、この世の風物からあの世を垣間見るのである。この句は、一本の樹が情景としてはあるのみだが、そこに誰かの魂を思い、その魂との間の年月を思い浮かべている。一本の樹が境界の標なのである。〈岡田俊介〉
水鏡かきわけてはかき分けては母性 桂 由輝花
 妖しい深淵を覗かせてくれる作品だ。特にこの句は母性というものが、水鏡をかきわけかき分け確かめるようなものとの認識が、水鏡に映るものの屈折を暗示している。
 現在まで生きてきた人生の断面が入れ替わり立ち代わり現れる水鏡であり、そこに映っては消えるわが子の姿を追い求めてもいるようだ。この妖しい水鏡に対峙するのは母性しかないのであろうか。〈岡田俊介〉
あじさいは誰かを忘れ去るために 岡田俊介
 紫陽花の花言葉は「移り気」だそうだが、これはめまぐるしい花色の変化から納得できる。また花弁(萼片)が四枚と云うことで、これは四=死を意味し、むかしは縁起の悪い花とされたらしい。西洋でも、冷淡で無情と云う花のイメージがあったようで、紫陽花には何とも気の毒な花のイメージが定着していたようだ。
 そのようなイメージから読むと、この句の「誰かを忘れ去るために」は、見事に決まったフレーズと言う他ない。〈古谷恭一〉
遠いほど見える小さな夢あかり 岩崎眞里子
 「遠いほど」の句の〝夢あかり〟も情緒的な用い方だ。その小さな夢あかりは遠くから見ないと見えない類のもので、遠くから見るとき、くっきりと分かる存在なのだ。忘れ去られたかのような〝夢あかり〟はこころのどこかに潜んでいて、ふとした弾みに思い出すものだ。〈岡田俊介〉
観音も此岸の旅や昼の月 杉山夕祈
 難苦の中にある衆生の願いに応じ、救いの手を差し伸べようとこの世の旅を続ける観音様である。自在な観察力を持ち、千変万化する観音様だが、この果てのない旅に、時にはぼんやり霞んだ昼の月を仰ぎ見ながら、寂寞とした思いに駆られるのではないか。
 そんな作者の念いが、美意識を詩的に機能させた幻想的な表現から感受できる。作品から滲み出る仏性のたおやかさは魅力十分だ。〈細川不凍〉
愛すればただの砂 水無月よ 姫乃彩愛
 愛とは何だろうと思うことがある。愛は崇高な犠牲的精神のようにも思えるが、移ろいゆく人生や永遠の時空の中では、単なる一瞬の夢か、はかない思い過ごしでしかないようにも思える。この梅雨時、川端康成の若き日の恋文発見のニュースが流れた。
 実に切ない文面の川端康成の未投函の恋文であるが、何があったか、叶わない純愛であった。その失恋の経験と痛手から偉大な川端文学が生まれて行くのだが、川端の心の痛みは生涯続いていたのではあるまいか。晩年、ノーベル文学賞を受賞しながらも自死したのは、色々な原因はあろうが、愛に裏切られたことによる虚しさを生涯抱いていたことも考えられる。
 私も歳を取るほどに若い頃のことをよく思うが、虚しさの募って来ることの方が多い。「愛すればただの砂」にそんなことをふっと思った。〈古谷恭一〉
母ごのみ桔梗の道は今も紫 蕪木奈嫁
 桔梗の道を行くときの感慨。その桔梗は母の思い出がある故にむらさきを放っている。思い出の中の道と同じ道という感慨が一面の紫を想像させて、読者をその中に誘い込む。母と同じ好みであれば、なおさら酔いしれているのだろう。〈岡田俊介〉
背伸びして無人駅出る立葵 蕪木奈嫁
 その無人駅には立葵が咲いていたのだろう。そこを通りかかった作者についてくるように、立葵が駅を出てくるという幻想に仕上げている。擬人化により作品に味付けを行った。〈岡田俊介〉
凛として眉あげていますとも 西郷かの女
乱れてはならぬならぬと夏木立 西郷かの女
夏だより友よ花火をおたがいに 西郷かの女
 西日本が梅雨明けした七月二一日、岡田代表から電話があり、西郷かの女さんが亡くなったことを知らされた。今年三月、句集『冬の陽炎』を刊行し、体調はすぐれないものの今号の『新思潮』には強い精神力を感じる作品が提出され、まだまだ健在でやってくれるものとばかり思っていたので絶句してしまった。また一つ、大きな星が墜ちた気がする。
 それにしても昭和二八年頃より川柳を始め、川上三太郎に師事した大先達である。決して驕ることなく六十有余年、淡々とかの女川柳の独自の世界を拓いて来た真摯で誠実な作家であった。それ以上に、美しい魂の持主であったように思える。
 今号の「凛として」や「乱れてはならぬ」には、老いや病に挫けてはおられぬ強い意志が感じられ、人間かくあるべきだと思う作品だが、「友よ花火をおたがいに」には、周囲や仲間を思いやる限りない優しさにあふれた作品である。
 かの女作品には「綺麗きれい姑の花火わたしの花火」と云う作品もあり、周囲への気遣いの細やかな美しい魂を見る思いである。かって片柳哲郎は、『現代川柳新思潮合同句集(平22年刊)』の解説で「作中のものに生命を与えるものは観察力ではなく愛情とか情緒とかいう精神性だと思う。
 人は人とともに生きて行くという根本の倫理が働いていなくては感動などはなく、清澄な透明感のある作品も生まれて来ないと思われる」と述べているが、かの女作品の「友よ花火をおたがいに」と語りかける言葉は、多くの仲間と共に見るからこそ花火は美しい、「人は人とともに生きて行く」倫理観が働いていると思えるのである。
 かの女さんの主宰した『しらゆき』はその遺志を継いで、さらに結束してゆくに違いない。合掌。〈古谷恭一〉

夕映えの愛しきものを逝かしめて 松田ていこ
痩せてゆく指にすみつく紙の鶴 板東弘子
おやすみなさい 夢売りが来る前に 月野しずく
すこしずつ月光足して百合の花束 吉田州花
 
まだ水がつめたいからと愛される 寺田靖
朱の道を草の匂いとサンダルと 潮田夕
生まれなかった弟に摘む白い花 山下華子
燃え尽きる蚊取り線香誰の忌か 矢本大雪
オルガンも兵隊さんも山のかなたに 細川不凍
 
生きていることの奇跡を白桃と 吉見恵子
遠景はおぼろに沈みゆく山河 新井笑葉
らしく咲く蓮の花なりそれなりの 夕刻閉門
風と再び言葉を交わす雨上り 佐藤純一
星満天こよい言葉を手ばなして 伊藤寿子
☆ NO.128の読みもののご案内
 ・エッセイ「最果ての記憶」 杉山夕祈
 ・追悼 西郷かの女「私の現在地」 矢本大雪選出76句
 ・追悼文 「かの女さん、ありがとう」矢本大雪ほか
 ・追悼 西郷かの女「西寺町は 雨にて候 幻雪(ゆき)にて候」 松田ていこ
 ・随筆「筝への思い」野々圭子
2014.9.17

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