新思潮No.130 2015年1月号より③
縦糸は父系雪国育ちです 吉田 州花
 よく馴染んだ織物を自身に喩え、その縦糸を父に喩えて、自らのアイデンティティとした。〝雪国育ち〟は、その背景があっての強さなのだ。すっきりと自画像を表現した作品だ。〈岡田俊介〉
秋のはずれのおもいでいろの吾亦紅 吉田 浪
おりふしの峠路ここも黄落期 吉田 浪 
 前句は「秋のはずれ」「おもいでいろ」「吾亦紅」、そして後句は「おりふし」「峠路」「黄落期」というように美意識を触発させる言葉が措かれ、抒情好きの読者にはスタンバイOKという感じだ。人生的詠嘆を抒情表現に托すその作品は、清らかで静謐なたたずまいを崩さない。
 片柳哲郎先生が、〝浪作品には一切の注文をしないで、そっと見守ってやりたい〟と話されたことが憶い出される。至純性の高い抒情作品を愛した先生だった。〈細川不凍〉
生真面目な顔してのぼる螺旋階段 福井 陽雪
 螺旋階段というのは、終わりのない不思議さをどこかにもっているように思う。そこを登る人にはそれぞれの思いがあるにちがいないが、この作者は真面目な顔を想像して、人生の縮図であるかのように詠っている。大真面目で登るところに川柳味があるだろう。〈岡田俊介〉
妹よ姉よと荒ぶ日もありぬ みとせりつ子
 異界をさ迷っている中で、母はタイムスリップでもしたかのように、何度も少女の頃に還っていた。実家が貧しかったので、小学校を了えるとすぐに働きに出された母は、三歳上の姉と行動を共にした。日雇い労働が中心だったが、二人にとって一番辛かったのは、初冬の川で氷を割って行った砂利採取の仕事だったと言う。
 その辛苦を共にした姉(三年前他界)の名を呼びながら、涙を流し続けた母の有様が、掲出句から窺える情景と重なった。女きょうだいの絆の強靭さは、男きょうだい以上のものがある。骨肉との痛みを発想のエキスとした作品は、読む方も、それ相応の痛みを覚える場合が多い。〈細川不凍〉
抱擁の前も後ろも砂の山 杉山 夕祈
 日本にはイエスキリストが眠ると伝えられる墓がある。タイトルの〈墓山〉、そして第四句の〈哀しみのここに  創まるイエス伝〉から、作者は実際にその墓を訪ねたのかも知れない。掲出句は、キリストの大いなる愛は、不毛の地にあってもあまねく及ぶのだ、と解釈した。この句、単独で発表しても大変魅力があって、安部公房の小説『砂の女』の世界がリアルに迫ってくる。〈細川不凍〉
幻想の土器を点して我れも点して 蕪木 奈嫁
 十日町市博物館の土器は、私も見たことのある国宝の火焔型土器である。縄文時代の精巧な火焔の文様が刻まれた装飾性の高い土器だ。そのような土器を生き返らせて、それに呼応するかのように自身も高揚感を得ているという幻想である。雪国十日町でのある日の火焔が迸る幻想なのだ。〈岡田俊介〉
雪吹(フギ)に寝て雪吹(フギ)に目覚める裸の樹 村上 秋善
 寂しく苛酷な情景だ。枯木をことさら〝裸の樹〟と表現し、この表現からは、もはや落葉さえもない情景が浮かんでくる。その樹はきびしい雪吹の中で寝て、目覚めるという寂しさの極みとして用いられている。もちろん、表現したいのはその〝裸の樹〟のある寒村の風景なのであろう。〈岡田俊介〉

鈴虫が鳴くあの世でもこの世でも 古谷 恭一
秋の疎林身を燃やさねば喚歌する 板東 弘子
たましいは高原にあり鱗雲 鮎貝 竹生
秋の光のちちのキスははのキス 福田 文音
 
まぼろしの海引けば在る声の数々 小林ひろ子
かげろうは蹲る春は紙の階段 山内 洋
娘とふたり二無し三無し最後のホテル 西条 眞紀
確かなるものだけに添う影法師 梅村 暦郎
返信す 秋は奇跡であることを 姫乃 彩愛
 
銀杏を拾うおぼろに父の背な 山下 華子
メルヘンの泉に片足を残す 中嶋ひろむ
冷んやりと掛け軸吊るす晩秋へ 細川美州子
月白くあしたまた落葉をあるく 望月 幸子
結願寺ただ訳もなく落涙す 松村 華菜
2015.2.15

PAGE TOP