新思潮No.131 2015年3月号より①
芒から芒出口にある鏡酒谷 愛郷
耳をかす木枯いろの眼をふせし酒谷 愛郷
少し音して身を容れたるや霧の中酒谷 愛郷
ささやかな日常を、短詩型文芸の世界でここまで詠いあげることのできる作家は希だろう。〈餅ふくれる吾もほのぼの身空負う〉の句の餅ひとつにもここまで詠い上げてゆく。日本人にとって芒と人間と文学、これは切り離すことのできない深い関係にある。愛郷さんの中にも、芒は同胞のように存在している。何か言いたげなのでそっと近づいてゆくというアクションがいい。木枯いろの眼は、芒であっても、愛郷さんであってもいい。読者を果てない境地に誘うには充分である。 〈みとせりつ子〉
日常がベッドの上で死に体に福田 文音
「日常」という言葉は、取り立てて云云するほどの刺激的な意味はない。だが、この句での圧倒的存在感はどうであろう。自分自身を、「日常」に見立てた大胆な叙法の賜物と云えよう。普段は日々の家事を、無難にこなしていた作者だったが、病気か怪我が因で、やむをえずベッドに臥してしまったのだ。「日常」を揺すぶる不合理性や不条理性は、予期せぬ出来事として起こるのが通例だ。僕が二十代の時知った秀作家、岩村憲治の句、〈おそろしく火事をみている日常よ〉をふっと憶い出した。 〈細川不凍〉
更けて夜のペンに絡まる雪女夕刻 閉門
〝雪女〟の喩えが、夜更けに亘ってものを書くペンの迷いを言い得て妙だ。ひたすら熱中しているペンであっても、夜も更けると疲れもあって、いろいろな雑念が湧くものだが、その一つが〝雪女〟であったという点が、時ならぬ雪の気配と相俟って説得力がある。誰かの化身のようでもあり、そんな冷たい存在の雪女が老境の視野を横切るのであろう。一瞬のロマンである。 〈岡田俊介〉
北緯43度ひとりしりとりミカンで寝る澤野優美子
北緯43度という最大級の言葉を使って、自己存在の在り様を確認している。北緯43度、北見はその位置にあり、澤野さんはとても神秘ともいえる土地に暮らしている。ひとりしりとりで寝ると言う括りが、北緯43度と重なってドラマチックである。 〈みとせりつ子〉
ガラスの羊ぼんやりさかさまの私月野しずく
一連の作品はどこかさびしい感じがある。「ガラスの羊」はそれ自体不安な気持ちを反映したものであるし、それに対峙する〝私〟が、ぼんやり、かつ歪に屈折し、さかさまに写っているという、これも一層不安定な作者の心と立ち位置を示すような光景である。未年の初めにあたって、不安な気持ちの潜む〝私〟を創出したのだ。 〈岡田俊介〉
メロンパンわれば二つの大枯野矢本 大雪
続編へ似会う帽子とまだ会えぬ山辺 和子
カトレアに妄義議の行方訊いて 冬岡田 俊介
レモン二個花束のごと置かれゐる望月 幸子
ストローで飲み干す夜の飽和点山崎夫美子
針跳んでいる老人のノクターン中嶋ひろむ
主人公が消える森はまだ静か大橋あけみ
この人に雪を見られて冬になる寺田 靖
もろ手に未完抱きて目覚む蝶結び西条 眞紀
生きる騒音地平線まで草紅葉小林ひろ子
秘密保護法だ 慌てる消しゴムだ古谷 恭一
幸か不幸かフラッグストップしてくれるみとせりつ子
くるるんと雪も蕾も陽のページ岩崎眞里子
腕高く二月のひかり結い上げる西田 雅子
☆ NO.131の読みもののご案内
 ・エッセイ「太宰さんを尋ねて」 岩崎眞里子
 ・随筆「春の訪れ」 伊藤寿子
 ・姫乃彩愛句集鑑賞「未完」鑑賞―未完の完成 矢本大雪
 ・新思潮・青森研修句会
2015.3. 16

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