新思潮No.131 2015年3月号②
ー青森研修句会(2014年10月18日)  1ーー作者未知の時点でー

合評会司会・山崎夫美子

(夫美子)それでは私の方で司会をさせていただきます。事前に互選による5句選出、うち1句は秀句指定でお願いしました。秀句は2点、佳作は1点とした合点で、高得点の作品から進めたいと思います。
   ※秀句推薦者  ・佳作推薦者
握手する指紋も風もなき指で彩 愛
※眞里子・彰・光子・京・漣・俊介・寿子・桐子 (眞里子)不思議なもので二読三読して初めて目に触れてきた作品です。二読三読していたら、「あれ!」っていう感じで目についてきました。とても地味な感じがしていましたが、指紋も風もなき指でというのを何度か目にして、「なんだ川柳もそうじゃん」と思ったら、◎をつけてしまいました。
 
(彰)作者が男性か女性か分からないですが、私は男の人として採りました。男として社会的地位もなく、一生懸命にやっていても結局何も残すものがない。そういう若干残念な人間として自虐的に書いている。私自身もこんな感じなので、非常に迫ってきた句でした。
 
(光子)長い人生には、時々は何の感情も持てないままに付き合わなければならないし、握手もしなければならないこともあるでしょう。そう思って選ばせてもらいました。
 
(夫美子)では、採られなかった方のご意見をお願いしたいですが。
 
(一艘)非常にいい句ですが、この句の中に風という言葉が出てきています。「風」という題で長年募集されていたこともあったので、あまりにも使われ過ぎて風に辟易しています。
 
(夫美子)確かに風はいろいろな場面で使われていますし、私も選をするときに風という言葉には慎重になります。 では、採られなかった州花さんご意見をいただけますか。
 
(州花)採っていなかったので安心しておりました。(笑) 読み過ごしてしまった句です。風ということではなく、あまりに流されるというか、自信がなさ過ぎるというか、もっと自己主張してもいいのではないかと、物足りなさを感じた句でございました。
 
(夫美子)採られた漣さん、どうでしょうか。
 
(漣)最初に好きだなあと思ったんです。何か寂しくて、何の思いもない虚しさみたいなものを感じる握手だったのかなと思って。そういう気持ちがよく分かったので、この句に点を入れました。
 
(敏子)私も男の方の句かなと思いました。定年退職をして、次の仕事も無かったりすると、男の人は根無し草のような気持ちを持つのかなと思って採りました。
 
(桐子)指紋のない指というのは、私ではない指、そして風のない指は、何も動かない、心も動かない指というふうに感じました。最初は亡くなった人との最後の握手かなと読みましたが、やっぱり握手するし、指紋も風もなき指なので、握手するのは作者だろうと。もはや私ではない自分を殺した手を差し出すような握手なのかと、とても怖いような寂しいような印象を持ちました。それがまた、指紋も風もなき指という詩的な美しさに包み隠されているところが、なお冷たく感じられて、とても迫ってきた句です。
 
(夫美子)採られなかった大雪さん。いかがですか。
 
(大雪)何で握手するのだろうなと思ったんです。謙虚に指紋も風もない指だということを自覚しているのに握手する。そういうところに心の揺れ方が出ていると思いますが、僕だったら握手しにいかない。この作品の比重は風のところに強くかかってくるのかと思いました。指紋も風もないが詩的で上手いと思ったのですが、なんでそれで握手しにいくんだろうなと疑問に思ったところです。
 
(俊介)風も指紋もというところで、技巧に走り過ぎたかなと思いつつ、見逃していましたが、よく読んだら香りを放ってきた句です。風は何かを持っている風を思わせて、それがないということはかなり深刻な状況なのでしょう。指紋がないというのは、夢も個性もない心境でしょうね。清廉な指で我が身を愛おしむ気持ちがよく出ている気がしています。
 
(夫美子)では、作者にお聞きしましょう。

(作者)たくさんの方に抜いていただいてありがとうございます。先ほど自虐的なという言葉が出ていましたが、私の原点、文学の始まりは孤独の産物でありまして、自ずとこういう句が出来ましたが、私の根源にある悲哀とか詩性とか、そういう響きを表現した句を作りました。この句の中の指紋とか風とか奥行とか、そういうのも汲み取ってたくさん選んでいただいたのですが、私は余韻というか、匂いというものをさらりと感じ取っていただけたらうれしいなと。

めくらぶどうひとつぶずつのぎゃーていぎゃーていむさし
※桐子※一艘・大雪・冬鼓・州花・雅子・りつ子 (桐子)読んだ瞬間、いいのかどうか分からないですが、すごく揺さぶられてしまった句です。この句をいただくかどうか、とても迷って何度も読みましたが、最後まで?んで放してくれなかった句です。宮沢賢治の「めくらぶどうと虹」の話と般若心経とが、浮かんでは溶け合って、説明できる句ではないですが、心にこだわるものを失くしたいという祈りのようなものをこの句から感じました。
 
(一艘)全部ひらがなで書かれている。ぶどうというのは房になっていて、その房は人間という集団で、その中のめくらぶどうというのは、自分を少し自虐したような形で、こういう使い方をしているのだと思います。ぎゃーていぎゃーていは般若心経の一節で、「行こう行こう」というフレーズになるみたいですが、幸せな所へみんなで行こうよと言う諦観、般若心経そのものを詠っているのだと思います。めくらと言う言葉が、差別用語になりはしないかと、随分悩みましたが、めくらぶどうというのもあるぐらいですから、それはそれで許せる範囲かも知れない。人間の諦観した境地でなるほどと思って○をつけさせていただきました。
 
(大雪)これは俳句の阿部完市の句のような感じがしていいですね。ひらがなで全部書いたのは、少し狙いすぎたかなという気もしますが、漢字にしちゃうと印象が強すぎるかなと。だから、ぎゃーていぎゃーていぐらいはひらがなにした方が面白い。阿部完市的な雰囲気が出ていて、なかなかこうは書けないですよ。この辺は個性になるのかなと思いますね。ぶどうの句も俳句にいっぱいありますが、こういうふうに処理したことは、珍しいし、作者が眞里子さんじゃないかと思ったりしましたが・・。ともかくいい感覚の句だなと思いました。
 
(冬鼓)さっき一艘さんは、めくらとぶどうを離して解釈したみたいですね。私はめくらぶどうを野ぶどうと思って採りました。今、ちょうど実がなっていますが、一個ずつ違う模様がついていて綺麗なんです。 州花さんが庭に植えているぐらいですから。めくらぶどうとぎゃーていぎゃーていの般若心経の一節を一緒にした面白さと、破調ですが全部ひらがなで書かれているのが呪文のような感じで、句意としては一粒ずつの祈りと解釈しました。祈りと言ってしまうと、当たり前っぽくなりそうなところを、敢えてぎゃーていぎゃーていと、ましてひらがなで書いたところの面白さでいただきました。私はこの句から、小泉八雲の耳なし芳一の話を連想しました。
 
(夫美子)採られなかった方で、眞紀さんご意見を。
 
(眞紀)作者は分かっているんですよね。作者にとって、ぎゃーていぎゃーていというのは、二度目、三度目の使い方じゃないかと思うんです。だから敢えて採らなかったです。
 
(竹生)私はこの句がよく理解できずに、作者に聞こうと思っていた句のひとつです。以前にぎゃーていぎゃーていというフレーズの句を見たことがあり、その句の印象が強かったのです。上五のめくらぶどうとぎゃーていぎゃーていが上手く結びつかずに採れなかったわけです。なお、ぎゃーていぎゃーていを使った句というのは、亡くなられた森田栄一さんだったことを思い出しました。
 
(夫美子)採られた州花さん、お願いします。
 
(州花)このぶどうが子供の頃から好きで、新思潮128号誌で杉山夕祈さんが、へびぶどうとして取り上げてエッセイを書かれていたのですが、このへびぶどうの葉っぱ、色、形、全てが好きです。とうとう自店のテントにへびぶどうを絡ませてしまいました。大事に育てて、今年で三年目で、毎日のように、このめくらぶどうの実の色の着き方を眺めていますが、濃い紫の実も白っぽい実もつけています。この句は、めくらぶどうの色を知らない人は採れなかった句ではないかという気がします。一粒ずつ色が違いますが、その色が何とも優雅で、祈りにも通ずるものではないかという気がしています。

(雅子)初めに見た時に、これは採っちゃいけない、いけないと思いつつも、最後まで目から離れなかった句です。今、 州花さんのお話を聞いて、一粒ずつの色が違うとのことですが、私のイメージでは野ぶどうの中でも黒ぶどうと思いました。一粒ずつとありましたので、ぶどうを人間と置き換えて、人間は一人ずつ闇を持っているけれども、ぎゃーていぎゃーていとありますので、救われるという祈りが込められていると思いました。ぎゃーていぎゃーていは他でも見ますが、よく使われているから、よくないと私は思いませんし、ここでは上手に一句を引き立てている。そして、ぎゃーていぎゃーていを般若経とすれば、下五として五音で終わりますが、ぎゃーていぎゃーていと持ってきたところで、人の心を掴む一句に仕上がったと思います。めくらぶどうというのは、作者にどの程度イメージを持って書かれたのかお聞きしたいと思います。
 
(作者)これは問題を引き起こす句かなとは思って作りました。一つはめくらぶどうにはめくらという差別用語が入っています。それからぎゃーていぎゃーていは般若心経の中で、最後の方に出て来る言葉ですが、実は私、漢字で書けないんです。覚えようとしても覚えられない。どうしてもここはひらがなになってしまいます。問題を持った句を、研修会では取り上げるべきじゃないかと思って、そういう性格の句をわざわざ作ったという事になります。それから、めくらぶどうは野ぶどうのことです。東北全般、昔から野ぶどうの事をめくらぶどうと呼んでおりますからこれは差別用語として扱うべきではないのではないかと思いました。先ほど 州花さんが言われたように、野ぶどうは一粒ずつ色が違うんです。何故かと申しますと、色の付いている野ぶどうを割ると中に虫が居ます。何々蚊とか何々蝿とかの幼虫が入っていて、実の中で生活をする。そうすることによって、色が出てくるそうです。般若心経の中でも、ぎゃーていはまじないの言葉であるから、人によってはこの部分は訳すべきでないと。訳さずにそのまま本に出てきたりする部分ですので、私の祈りも込めて全部ひらがなで、しかも破調で皆さんの前に、私の生の部分をゴロリと出してみました。

2015.3.24

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