新思潮No.134 21015年9月号より②
斑猫が飛び交う賽ノ河原まで古谷 恭一
斑猫(ハンミョウ)は山間の路上に多く現われ、人の歩く先へ先へと軽快に飛ぶことから、ミチオシエの俗称がある。美しく魅力的な昆虫だが、ショッパイ河(津軽海峡)を渡ったことのない僕は、一度も目にしたことがない。北海道には生息しないからだ。掲出句はその斑猫が舞いながら、死んだ子供を賽ノ河原まで誘導する幻想的作品である。「斑猫が飛び交う」の美しい情景と「賽ノ河原」の殺伐たる光景が余りに対照的で、子供の苦しみが増幅して伝わってくる(最後は地蔵菩薩が救うが)。死生観を伴った美意識の高い句で、表現者としての冷徹なまなざしの深さに瞠目させられる。恭一氏には〈斑猫のほほほと笑う行方かな〉という傑作があり、掲出句はその姉妹編と云える秀吟だ。〈細川不凍〉
透き通る風は白魚たちまち深く 吉見 恵子
シンプルに素敵な句だと感じる。抒情と言葉のバランスが取れていて、読んでいて心地よさがある。しかし作者は、うつくしいメルヘンをうつくしく詠んでいる訳ではない。「透き通る風」、「白魚」と同じイメージの言葉をスパッと繋げておいてから、いきなり「たちまち深く」と言い切っている。決して幸せなおとぎ話などではないのだ。そこにえも言われぬ深みを覗いてしまう作者に「作家」としての目を感じてしまうのは僕だけだろうか。〈寺田 靖〉
路地裏で優等生が入れ替わる古俣 麻子
この作者は、川柳という短詩型のなかで様々な試みをする方だと感じる。今回は―昔日慕―を主題として、七句の抒情性豊かな作品を送り出しているが、「路地裏で」の句は不思議な作品だ。「優等生」が同一の人物を指しているのか、複数の人物を指しているのかによって、句の印象ががらりと変わる。同一人物であれば、かなり怖いイメージの句となるし、別人物であれば、ほのぼのとした雰囲気の句となる。主題からして後者のイメージでよいと思うが、前者で捉えれば、現代に潜む底知れぬ恐ろしさを詠っているとも取れる。〈寺田 靖〉
月映す水をもらいに石段を寺田  靖
日常の一シーンのように詠まれている。月映す水という情感の籠る水を創出して、日常からの飛躍を遂げている。石段を登るという日常的な行為が句に現実感を与えて、月映す水と微妙に調和している。〈岡田俊介〉
アルハンブラ宮殿夢の鱗を手に受ける越智ひろ子
ギター曲〝アルハンブラの思い出〟を聞くたびに異国情緒に包まれるが、この句は現実のアルハンブラ宮殿の印象を記すものであり、その感激も一入のものがあったにちがいない。感動を元にしての紀行作品の創作は愉しくもあり、今後の創作活動にとっても有益だろう。〈岡田俊介〉
下弦の月を追って帰らぬ子が一人野邊富優葉
下弦の月は満月から三日月に至るまでの日々細まりゆく月のことだが、この作品は日々細くなり、ついに消える下弦の月を象徴的に用いて子の行方を暗示している。もとより〝帰らぬ子〟の言葉の重さは、句を読む人のこころにも沈みこむ。子を思うその思いもまた下弦の月を追ってゆくかのようだ。〈岡田俊介〉
お待ちしています サイダーの明るさで月野しずく
身の内のコンドル放す水無月の空 福田文音
鏡には夕立の跡くっきりと潮田  夕
脈打って打ち寄せて来る遠い空 岩崎眞里子
伝説の中とも知らず薊咲く 岡田俊介
発酵の時ゆるやかに古都に住む山崎夫美子
古井戸でコトリと鳴った姑の骨 板東弘子
輪郭は母型という豆りんご新井笑葉
風も音も桃色変化押し絵の村みとせりつ子
喉もとに条痕残す月の針 杉山夕祈
2015.10.26

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