新思潮No.135 2015年11月号より①
オペ終わる ひまわりでしたと医師が言う姫乃 彩愛
生の極限やそれに近い状況に立たされたとき、心身は疲弊しているにも拘らず、思いもよらぬエネルギーが内から湧き出ることがある。書き手であれば〝いま、ここで書いておかなければ〟という切実感が、そのエネルギーを誘発させるのかも知れない。彼女はそういう苦境から、表現者魂を内燃させ、秀句をモノにしたのだ。「ひまわり」は手術成功の隠喩と信じたい。愛娘を案じる西条眞紀さんの一連の作品も愁訴に包まれ、切なく韻いた。〈細川不凍〉
炎日や孤の声集め蝉時雨杉山 夕祈
亡き人と平仄(ひょうそく)合わす沙羅の花 杉山 夕祈
文明社会の中で、文明がいくら進んでも人間は生きて死ぬという根源的なものは変わりなく、それ相応の新しい問題も生じ、その社会の歪の中から様々な孤独が漏れてくる。人との関りが希薄である分、孤独感が蝉時雨となって降るのである。後句の「平仄」は、中国古典韻文の修辞上の述語である。中国語の平声と仄声との対立を「平仄」というが、これは、韻文に美しいリズムを与えるための配列の工夫である。この一句からは、「亡き人」と「沙羅の花」の調和が窺われ、亡き人の面影を偲んでいると、庭の沙羅の花が、一時亡き人の分身かのように白い花を咲かせては私を慰め、夕べに散ったと読んだ。〈吉見恵子〉
病葉のその一枚を栞とす古谷 恭一
この「病葉」は、過去を振り返った時に多くの人が経験する、絶望や悲観、躓きや傷つきなどの一時、心が停滞した人生の一ページを表現しているのではないか思う。どのような形であれ、そこを超えて客観的な思考ができるようになった時、その一ページが次第に、かけがえのない一枚の栞へと変化するのである。〈吉見恵子〉
青い森ゆっくり影を入れ替える月野しずく
憧れの適う森であろうか。その森で生まれ変わるように〝影〟を入れ替えるのだ。この〝影を入れ替える〟という表現は全く新しい人格に生まれ変わるとまではいかなくても、昨日までの自分からの脱却の気配も含んでいる。〈岡田俊介〉
月の友来たる龍胆携へておだ 一騎
「月の友」と言えば、月光に濡れた友が想像される。月の化身でもあるように現れたその友が、これも月光を浴びて育ったような色彩の龍胆の青い花を持っているというから、月光に友のまぼろしを見たのかもしれない。その友は振り向くと消え、月光が青々とあるばかりの光景が思われる。〈岡田俊介〉
定型詩の母なる闇の声なき寂西条眞紀
山静か信じるための色を溶く岩崎眞里子
ひまわりの一本くらいわれへ向け細川不凍
安らぎのテラスだったか蝉は今朝 松井文子
また古い映画観たがる 鳥の姿で 寺田  靖
蜩の夕陽メトロノームは錆びてゆく吉見恵子
水色の時間は溶けて樹々になり鮎貝竹生
ペディキュアよかつてわたしも五人家族谷沢けい子
わたくしを掬いあげてる 秋の底 松村華菜
ちちははもなし匙でトウフを崩す空 澤野優美子
ありがとうを残すくちびるの静けさ 伊藤寿子
2015.11.16

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