新思潮No.138 2016年5月号より④
桃の花喪がゆるくなる眉間より福田 文音
喪が緩んでくれるのは、ひたすら作者の過ごした時間がそうさせるのだが、実は我々は喪を無かったことにしたいとは思っていない。奥底にひた隠しながら、そこからさらに一歩を踏み出そうとしているにすぎない。時間だけが頼りかというと、時にふと匂い来る桃の花や、草花の姿が喪から解き放ってくれることがある。その時は泣けばいいのだ。誰にも訪れる死を、見届けることができた感謝を込めて、思い出せばいい。そして、喪そのものを解放してやることだ。〈矢本大雪〉
如月を生まれた影が猫を連れ大谷晋一郎
如月」の句の影は、如月に突如として生まれたものという。それまでは影の主は日常に埋没してしまってその影さえ忘れていたのだが、如月の或る日、日常を離れた世界で、猫を連れた影となって現われ、その世界を愉しんでいるのだ。この書き方は新しく作者の充実ぶりを窺わせる。〈岡田俊介〉
無量寿の光と邂(と)けて春の水杉山 夕祈
無量寿とは、仏教語大辞典(中村元著、貧乏な学生時代にはほしくても手に入れられなかった)によると、①はかりしれないいのちの仏。無量光(仏)に同じ。②密教における五仏の一つ。無量寿仏とは寿命がはかりしれない仏の意。阿弥陀仏のこと。つまりはかりしれない仏の光と出会い、春の水がたゆたっていくよ、という意味である。もちろん春の水とは私も含めた俗世のいのちの事である。しかし、流れる春の川と見た方がしっくりとくるし、美しい。邂逅という言葉の豊かさにも、心洗われた。〈矢本大雪〉
タンゴほどき今生の紅い首輪桂 由輝花
バンドネオンのシャキッと演奏するタンゴを〝ほどく〟という感覚が異色の表現だ。情熱的にタンゴを踊る人たちのシルエットさえも溶かし込んだ〝紅〟が見えてくる。その〝紅〟を、この世に生きる運命的なものを暗示させる〝首輪〟に結実させて、情熱的な一人の女を表現した。この世に結び付けるための〝首輪〟なのだ。その〝首輪〟をつけた深い目の女の生き生きとした様子がみえてくる。異色で妖しい表現は、桂(けい)由輝花独特の世界である。〈岡田俊介〉
万年筆のロイヤルブルー桜咲く 松井 文子
作句するとき、考えている間にペン先の乾く万年筆から、転がしていても平気なボールペンに代えてから数十年が経つ。今では文房具屋に行っても目につくのはボールペンばかりだ。万年筆はインクの美しさが魅力の一つであろう。この句は桜咲く季節に、お気に入りのロイヤルブルーの文字を愉しんでいる情景なのだが、この色と桜の取り合わせが絶妙で、万年筆をもつ人の気持ちを反映した実にいきいきとした文字が書かれていく様子がうかがえる。〈岡田俊介〉
イーゼルの足は茜に付いてゆく潮田  夕
「イーゼル」の句は、夕日の中の光景を描くのに熱心で、夕日に染まるイーゼルの足が、沈む夕日とともにどこかへ行ってしまうというほど、夕日と画家が一体化された雰囲気を感じる。夕日の光景を描くあまり、ついに夕日に囚われてしまった画家のイメージだ。〈岡田俊介〉
氷雨きてロダンの顎を尖らせる中嶋ひろむ
蠟梅やキケン水位に置ききしことば西条 眞紀
三日三晩吹雪を纏う白いオオカミ吉見 恵子
袖すりあう茶店の空を見開きに 高橋  蘭
雪女郎 白い民話を売りつくし 松田ていこ
一つ鳴り闇に溺れる冬の雷 鮎貝 竹生
一ミリずつ濃くなる畳目の昔日 伊藤 寿子
おばあちゃん絵本の中で日向ぼこ谷沢けい子
蛸を煮るぼくの旨味はこのていど  重田 和子
ぽろぽろとカフェを点すや春愁望月 幸子
頬杖の向こうは凪の海光る山下 華子
2016.6.19

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