新思潮No.139 2016年7月号より②
縄跳びの縄持つひとりあまのじゃく山崎夫美子
おとなになっても縄を回す役どころは多い。わが子のために夫婦で縄を持つこともあるし、職場で誰かとペアを組むこともあるが、いつでも阿吽の呼吸でというわけにはいかない。むしろ天邪鬼の自分をいとおしく思っていたりするのだから縄跳びはむずかしく面白い。〈古俣麻子〉
ゆっくりと島遠ざかる忘れもの新井 笑葉
島から遠ざかるときの感覚を詠む。すなわち、帰路につくときの感覚で、島での滞在が充実したものであったことを仄めかしている。島全体を忘れ物のように感じたという、この感覚は、船で遠ざかる島から受けるもので、私もよく味わう。島を離れて日常に戻るときの思いが片隅にあり、あたかも島には格別の日々があったように感じるところから、そう思うのだろうか。〈岡田俊介〉
天霧りて住所不明の蓮華座へ谷沢けい子
天霧(あまぎ)る、すなわち、一面の曇り空は、あたかも現実をかき消すかのような曇り空なのだろう。過去や現実すらも消し去ったあとに、安住の座たる蓮華座のみが残る光景であろう。〈岡田俊介〉
からからと天墜ち秋の飛脚影 山内  洋
秋の落日のスピード感を鮮明に表した句だ。「からから」はつるべ落としを連想させるし「飛脚影」は時間を映像化している。〈古俣麻子〉
地に三つ椅子ありマリアになれぬ妻桂 由輝花
文脈から三つの椅子は、妻の椅子である。その妻は慈悲深いマリアにはなれぬというから、その椅子は安住の椅子ではないのだ。三つが何を示唆しているのかは判らないが、例えば、場所の違う三つの椅子。あるいは時間の違う三つの椅子、つまり三回の妻の椅子。いずれも数奇な人生を暗示しているのだろうか。〈岡田俊介〉
ジューサーの桃のようなる桃じかん 澤野優美子
ゆうべ星が落ちた 深い井戸の底鮎貝竹生
黒髪に戻った宗旨変えとなる高橋 蘭
指先の空(くう)を抱(いだ)きて猫抱(だ)きて西条眞紀
諧謔を探せば落葉 都会篇岡田俊介
雨は幼子 水にも記憶あり候 姫乃彩愛
家中の沸湯誰の所為なるや福井陽雪
海鳴りの次々現わる黒装束細川不凍
いくつものトンネル越えた喉仏元永宣子
瞬けば十年後(あと)の地平線吉見恵子
2016.8.19

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