新思潮No.141 2016年11月号より①
線香花火 四人家族の孤の四片吉見 恵子
こよりに火薬を捻り込んだだけの線香花火だが、発散する閃光は花のように美しく、そこはかとない哀愁さえ漂わせる。掲出句を一読して、映画『海街ダイアリー』の一シーンが鮮明に浮かび上がった。浴衣姿の四人姉妹が寄りそいながら、手花火に興じる光景である。恵子句は家族のかたちは異なっているとしても、主意は共通していよう。四人家族の生の有り様を象るのが「孤の四辺」である。人間一個一個は寂しい存在には違いないが、花火をする時間を通して、孤の断片たちは互いに互いの心を求め合う睦なる世界を形成するのだ。家族の意味性を抒情的に詠んだ佳品だ。〈細川不凍〉
待つ。蜘蛛のごと このままで 梅村 暦郎
ここにも静けさがある。冴えわたった心境が創出する静けさである。この夏、二度入院したと短信にあったが、体験したものの大きさが伝わるようだ。その経験から呼び覚まされた感覚もあるにちがいなく、そんな研ぎ澄まされた感覚の窺える句である。蜘蛛のような静けさ、非日常の静けさを描いている。文体の工夫もそれを伝えるのに役立っている。 〈岡田俊介〉
一切は月 しんしんと街眠る月野しずく
「一切は」の句は、煌煌と照らされた街を想像させる。秋の月は美しく冴えわたっている。その街は睡りについているのだろう、一人作者がもの思いに耽っているのだ。〝一切は月〟は、月に支配された街を演出し、その街に住む自分までも月のとりこになっているような表現で、ひとときの静けさを感じさせる。〈岡田俊介〉
われは秋人つぎつぎ鵼を旅にだす 山内  洋
「われは秋人」と読んだ。夏を纏うのではなく冬の前の寂しさを纏う秋人である。鵼とは、頭は猿・体は狸・尾は蛇・脚は虎で、夜にトラツグミのように淋しい声で鳴く怪物とあった。作者の世界に棲息しているのか次々に旅に出すという。まるで慣れ親しんだ分身を旅発たせるようである〈岩崎眞里子〉
兄に歳聞かれそれぞれ秋の雲 谷沢けい子
兄は妹と幾つ違いか分かっているから、久しぶりに会った妹に歳を確かめたのだろう。呟くような話し声が聞こえてくる。久しぶりに会えば、それぞれに感慨があり、その感慨も秋の雲となってどこかへ行ってしまうのだ。歳を重ねるごとに、秋雲の行く速度は早まり、一抹の寂しさが残る。〈岡田俊介〉
草むらに星の雫の蛍かな松田ていこ
青き音たてて流れる川のあり松田ていこ
先号「作品の淵」で「地元川柳家達の、素直で明るく暮らしの匂いに満ちた作品をこよなく愛している」と記した作者。同感である。作品のイメージや発想は現実の中で感覚や感性を通して積み上げて来た体験が、表現として結実するのだ。力を秘めた作品には必然性と朗誦性がある。私達に求められているのは、嘘のない創作姿勢ではないかと思う。髪に纏い付く蛍も草むらの蛍も星の雫である。西郷かの女さんに代わり主宰となった作者の裡で青き音立てる畔に灯る蛍は、かの女さんにちがいない。〈岩崎眞里子〉
折鶴の群れる波打ち際に立つ福井 陽雪
夕焼けに抱かれ沈まぬ難破船福井 陽雪
何か真に迫り来るものを感じて急ぎ読み進むと、「折鶴の群れる波打ち際」に出た。打ち寄せられたものではなく、意思ある如く群れている折鶴である。「難破船」は作者だろうか…でも「夕焼けに抱かれて」沈まないのだ。〈岩崎眞里子〉
炎暑また墨職人の黒を喰む山崎夫美子
捨て墓を護る大きな女郎蜘蛛 古谷 恭一
皆何処へ夾竹桃は真っ盛り吉田  浪
神様よりも脆き白い靴姫乃 彩愛
金木犀の金といちにち押し黙る細川 不凍
阿波の踊りか狸ばやしか浮かれ月みとせりつ子
痒いのはブラックホール三姉妹 岩崎眞里子
野葡萄を唇(くち)に微かな夜の痺れ 大谷晋一郎
豆腐売りある日斜光を売りに来る潮田 夕
ピリオドがひとつ沈んだジンライム古俣 麻子
誰れかれもことばやさしく虹かかる望月 幸子
2016.11.26

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