新思潮No.143 2017年3月号より①
雑木林の幻影なれば てのひらに岡田 俊介
いのちとやみな一列に影あそび西条 眞紀
雑木林は光と影が戯れ、生命の充満している場所だが、それはカゲロウのように儚い現 象のようにも思える。生命は儚く消え易い現象だが、その生命は連鎖して、次の生命を育 んでゆく。自然界の生命、人間の生命の有様も一緒で、光と影の交叉の中に、生命の諸現 象が生起しているように思える。西条さんの「みな一列に」に、死者も生者も連なってい るイメージがあり、「影あそび」の儚さ憐れさが一層際立つ。光と影の交叉の中に、雑木 林の幻影もあり、生命の神秘や儚さや無常が見えている。〈古谷恭一〉
手に沁みる雪のひとひら南無の華岩崎眞里子
雪の結晶である「雪のひとひら」には、六(りっ)華(か)という美しい異称がある。それ を作者が「南無の華」と表現したのは、昨年十月に不帰の人となった福井陽雪さんを悼ん でのことと思う。 〝雪は天から送られた手紙である〟は『雪の研究』の著書で知られる中谷宇吉郎の遺した 言葉であるが、眞里子さんの手に沁みた雪のひとひらは、天からの陽雪さんの言の葉だっ たのではないか。そう想わざるをえないのは、情意が匂い立つ、詩的昇華のうるわしい作 品だからだ。同じ眞里子句の〈こぼれ萩つかんだ空の大えくぼ〉も、陽雪句の〈しがらみ のすべては風にこぼれ萩〉と呼応するようなたましいの韻きがあって、まことに感動的で ある。〈細川不凍〉
大朝日 廊下の奥を開けてみる伊藤 寿子
昔ながらの日本建築には、幾つもの和室があり、障子や襖で仕切られ、長い廊下の奥は 、奥座敷だったりする。そこに床の間があり、神棚があり、長押には先祖代々の遺影が飾 られている。よほどの祀り事や祝い事でもない限り、めったに使うことのない古色蒼然と した空間。そんな部屋も、息子や孫が帰省する盆暮れには開放し、明るい日差しが差し込 んでくる。大朝日が、滅びつつある伝統や家族の絆を一瞬蘇らせる、神々しい光になって いるようだ。〈古谷恭一〉
鏡深く劇場に行く紅をひく桂 由輝花
紅をひく光景を鏡が映し出している。この鏡はその人の人生劇場をつぶさに映す深い鏡 なのだ。鏡の中の自分と現実の自分が見えていて、現実の自分は自らの劇場で自分を演じ るべく紅をひくのだ。それを鏡もまた奥深くに映しているという、二つの世界が微妙に交 差する作品だ。かつて弘前城の堀が桜を水面から深く立体的に映している妖しい光景を見 たが、この句の鏡は実際の人物をたちまち妖しい過去のものにする鏡だ。〈岡田俊介〉
慣れ犬といつかは同じ眼の動き小林ひろ子
愛犬と同じ眼の動きをするとは、少なくとも空間、時間を共有している様子が窺える。 あるいは、未だ共有してはいないものの、いずれは空間を共有するという犬の存在を、〝 同じ眼の動き〟の表現で確かなものにした。〈岡田俊介〉
やがて靜まる研ぎ水も泥水も吉田 州花
静かに閉じられる人の死と一つの生活の終焉。きっとその人が生きている間は、身辺に いろんな騒動があったことだろう。日常は繁忙を極め、金銭や家族の事など解決の糸口も 見えないような悩みや苦しみも、死んでしまえば、不思議と全ていつの間にやら消滅し、 忘れられてしまう。あれほど濁って流れていた排水路の水も、何事も無かったかのように 静かに澄み切っている。人の死など、呆気なくこの世からかき消される譬えである。〈古 谷恭一〉
波の音ばかり聞こえる帽子店寺田  靖
その秋の竹を泣かした人形師 板東 弘子
刹那に香る生まれたての冬だから姫乃 彩愛
下駄箱も虹も永住権主張新井 笑葉
黄桜カッパと雪の夜を酌み交わす澤野優美子
お隣が釘打ち返す十二月酒谷 愛郷
風花を話し相手に選びけり潮田  夕
喉仏冬銀河から降ってくる中嶋ひろむ
便箋を選び終えたりさて詫び状松井 文子
かけぬける音ひらう音落ち椿越智ひろ子
まぶしさに羽根つくろいは春の中山田 悦子
2017.3.20

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