新思潮No.144 2017年5月号③
壱岐研修句会(2016年11月5日) 2―作者未知の時点で―

合評会司会・山崎夫美子

   ※秀句推薦者  ・佳作推薦者
葉月の蒼へ消えていったという線路のりこ
※文音・篤代・陽雪 (文音)葉月は八月で、八月というとどうしても戦争・敗戦に?がって、自分の意志にかかわらず、戦争に向って敷かれた線路と捉えました。今まで歩き続けていた線路が、戦争が終って消えてしまった。何処に向っていけばいいのか分からないという気持ちに魅かれました。夏の暑い盛りの茂みの中で、ひたすら戦争へ進んでいった線路を歩き続け、それが消えていった。こういう表現でしか言えなかった悲しみと、線路というイメージに魅かれて秀句としました。
 
(篤世)葉月の蒼なので、敗戦につながると思いました。消えていった線路であることに魅かれました。線路は過去、現在、未来を繋ぎますが、何らかの理由で未来に?がらずに消えていった。私は原爆で死傷者を運んだ線路、引き揚げの時の線路が頭に浮かびますが、大切なものが見えなくなって消えていった。戻ってこない喪失感とともに、蒼へ消えていったということなので、作者の心は晴れていたのではないかと思いました。線路が好きでいただきました。
 
(雅子)八月は戦争のイメージがありますが、そう思って作られたのなら、葉月とせずに八月とされてもいいかと。葉月としてしまうときれいにまとまってしまう。では葉月が戦争のイメージでなかったら何だろうと考えていくうちに分からなくなって採りませんでした。
 
(健治)葉月の蒼はきれいな言葉ですが、私も句の意味が分からなくて…。葉月の蒼が捉えにくくて採りませんでした。
 
(伸吾)葉月の蒼は青葉が線路を覆っていたということではないかと思いますが、消えていった線路というのが引っかかった。そこを変えたらいい句だったと思います。
 
(俊介)葉月の蒼へ消えていったということで、行き先の分からない別世界へ行ってしまうような線路を想像して、採ろうかなとも思いました。
 
(文音)戦争なら葉月ではなく八月としたらという意見がありましたが、八月の暑苦しさと線路を覆いかぶせるような、また自分を覆いかぶせるような緑の濃さ、夏のイメージを一層強くしたくて、作者は葉月を使ったのかと思いました。
 
(作者)父戦死の世代なのですが、それとは別に近しい人や主人を八月に亡くしていますので、この蒼は滅びを含んだ蒼で、そこに消えていったら戻らない。そういうイメージで作りました。
 

 

老い海女も人魚になれる夏の海久 恵
※甫釦・漣 (甫釦)一目で作者が分かりましたが、それでも秀句に採ったのは、小学校や中学校の頃は、夏休みになると毎日泳いで人魚から魚になりかけたので、この感じがよく分かるんです。海と海水の温度と景色が一体になるんです。個人的な経験でこれだと思い、採りました。
 
(漣)私も誰が作ったか想像できました。海女の漁期は夏です。老い海女も人魚のように楽しく泳げるのは、夏の暑い時だけだろうと。そういう意味で年老いた海女にも、夏はやさしいだろうと思って採りました。
 
(華子)「老い海女」よりも、「海女の老い」とした方が、流れとしていいと思ったんですが…。
 
(漣)海で泳いだら分かると思いますが、海女は過酷ですよ。そういう中で年老いた海女でも、人魚のように爽やかに泳げるのは夏の暑い日です。だからこれは「老い海女」だと思います。生活感が見えるような句を作るべきだと私は思っております。
 
(伸幸)作った方はこの人だろうと想像しながらですが、この方はいつも体感句を作られるんです。自分の体験から臨場感あふれる句を作られるんです。 
 
(華子)「老い海女」という言葉があるんですね。さっきの意見は取り消します。
 
(作者)海女の表現に上手な海女を上海女、上手でない海女は下海女、若い海女は若海女、年老いた海女を老い海女と私達は呼んでいます。5月から泳ぎますが、肌を刺すように冷たい潮の中で耐えられるように、冬の間に皮下脂肪を溜めて肥ってから泳ぎます。素潜りでレオタードを着て泳ぎますが、レオタードを着て泳ぐ海女は珍しいそうで、放送局にも取り上げられました。老い海女は若い人に比べるとスタイルがよくないですが、5月から泳ぎ始めて夏頃になると、みんな脂肪がとれてスマートになります。それを人魚が泳いでいるように見えて作った句です。
 
 


息のかかってかたむいてゆく船か桐 子
・雅子・のりこ・夫美子 (雅子)目に見えるようなスローモーションで船が傾いてまさに沈んでいく瞬間、どうしようもない状態で、あとは息がかかって沈むしかない情景が描かれていると思いました。川柳なので人に当てはめて、この人は絶対絶命なのかと思ったりもしました。句の作り方が上手で、息のかかって、かたむいて、船かと、か・か・かと使って音が連続していて、緊張感を表すのを効果的に作られていると感じました。
 
(のりこ)雅子さんと同じ意見です。か・か・かと、一気に畳み掛けている作り方に臨場感があって、運命の歴史の変わり目みたいに大きな句だと感じていただきました。
 
(夫美子)順調ではない人生に、軽く息を吹くだけで傾く船は、家族や友だち関係とも?がると思いました。順調に物事が進んでいても、ささやかな何かがあったらそれで傾いていく。そういうことが現実にあると考えて選びました。
 
(作者)みなさんが読んでくださったとおりで、ふっと息がかかるだけで何かが崩れていってしまう場面が、人間関係のいろいろなことであるというところを詠みました。もうひとつは年老いた犬がいまして、足が弱って立っていられないのですが、私には大きな存在なのでそれとも重なったりした一句です。
 


手を洗う黒の抜け落ちゆく夜に彩 愛
・俊介・華子・宣子・夫美子 (文音)好きで気になった句です。自分で抜こうというように理解していけばいいのか、分からないので採られた方に聞きたいです。
 
(夫美子)もの悲しい句だと思いましたが、手を洗うという日常的な行動の中で、黒が抜け落ちるというのは、体内の毒を洗い流しているとか、不安を打ち消すようにしているとかに思えました。それが至極冷静で穏やかで、意志の強さと美的センスのある感性豊かな句だと思って選びました。
 
(俊介)黒が落ちるという部分が分かりにくいと思いますが、僕は何かの転機のような状況を示しているのかと思いました。ひたすら手を洗う人のシルエットが見えるわけですが、それが非日常の空間を作り出している感じがしています。黒によって状況を単純化して表現したものの、それが抽象化されているから分かりにくいですが、想像がかえって膨らんでくる面があると思います。
 
(華子)私もそう思っています。自分には作れない言葉です。
 
(宣子)黒は汚れであり、罪なのではないでしょうか。手を洗って人生をやり直すのは暗闇の中であり、手を洗うのは汚れた時や、心にわだかまりややましいことがある時かと思いながら、自分の人生をやり直すのを誓うような句にとりました。
 
(文音)黒のイメージは分かりましたが、落ちゆく夜にの「に」の助詞の使い方について勉強したいです。「夜に」から、またくり返して手を洗うという動作に、作者がくり返し生きていくという思いにもとらえられるのではないでしょうか。
 
(俊介)私はくり返さないというように受け止めました。「手を洗う」で切れていると思います。
 
(漣)夜に手を洗う時の情景で続いている。ただ最後に置いているだけだと思います。
 
(夫美子)作者がご欠席ですので、話をうかがえないのが残念です。
 
(後日、作者にお聞きしました)手を洗うは私は精神の純粋性を磨きたい気持ちからでした。黒のイメージが浮かんだのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の9章にでてくる石炭袋というブラックホールが浮かび、ブラックホールは、異次元の入り口というより黒が抜け落ち吸い込まれ続けるところのようで、またその無限に悲しい無限に苦しい象徴を黒とし現代に生けるものとして夜にとさせてもらいました。苦しい中でこそ無限の美しいものを得たいという願望であり転機です。好意的に深く読み取って頂き心から感謝申し上げます。
 
〈テープ起こし:山崎夫美子〉
2017.6.6

PAGE TOP