新思潮No.144 2017年5月号より⑤
われに木の匙そそとこの世を掬いたり細川不凍
木をくり抜いた匙は手作りの温もりを感じる。作家の五木寛之は、今日一日、良いことがあった事だけを記しているそうだ。憂うる事が多い世の中、良い事ばかりのノートを読み返すと気持ちが豊かに満ちてくる。作者も今日を振り返り、たくさんの出会いの中、特に人のやさしさを思い返しているのかも知れない。そんな時、川柳の眼と感性が研ぎ澄まされる。〈伊藤寿子〉
ポケットの深さを覗く青いシナリオ板東 弘子
ガラスの向こうで青い光を持つ人よ板東 弘子
誰にも量りしれない程の物語が心の奥にあり、それは自分自身にだけ思い当たるもの。余りの深さに驚くこともある。〈ガラスの向こう〉の句は、もう一人の作者自身だ。繊細な感性が実像とガラスの二重写しになっていて、幻影のようであり不思議な感覚だが、青い炎に導かれて希望の持てる句になった。〈伊藤寿子〉
手鏡に安達ヶ原の映るとき古谷 恭一
〈手鏡に雲を映して逢いたくなる〉は拙句だが、故郷から遠く離れた地で長期療養を余儀なくされた二十歳前後のころのもの。手鏡を覗くことは常々あっても、掲出句のようなエキセントリックな想は湧くことがなかった。「安達ヶ原の映るとき」の先は鬼女が出現するのかも知れない。ならば作者は山伏に変身して、このおどろおどろしき世界に飛び込んでもらいたい。鬼女を祈り伏せるために……。現実と非現実を自在に往来しながら、貪欲に題材を追い求める恭一さんの創作姿勢は不変である。〈細川不凍〉
オホーツクの水をただしく呑む薬澤野優美子
薬を飲む行為は厳粛なものの一つであろう。病気を治すための〝薬〟〝水〟には襟を正さざるを得ない。オホーツク海に近いところに住む作者にとって、オホーツクの水は寒い冬をともに生きた水なのだ。自然への信頼、薬への祈りもあって、水を身近に感じるひとときでもあるだろう。一番ただしく水を飲むのは薬を飲むときとの発見のある句だ。〈岡田俊介〉
銀河から逸れて寂れた町がある寺田  靖
〝寂れた町〟は、どこかにある思い出の町のようでもあり、今住む町のようでもある。〝銀河から逸れて〟というとき、銀河の下に広がる町とは別の町を想像させ、銀河のないところという寂しさが漂っている。とても寂しい町を想像するだけでもよさそうだが、その寂しさを〝銀河〟を使って、この上なく寂しいものにしている。〈岡田俊介〉
一期一会片雛の魂鏡に入る桂 由輝花
さみしさを起こさぬように苺食む 杉山 夕祈
山積みの辞書にいつしか春のララバイ月野しずく
胸中に薄日さす帽子の記憶 望月幸子
沈まない夕陽いろはを間違える新井 笑葉
風やんで倒れた影を立て直す山辺 和子
夜鏡は亡姉かも知れぬ墓かも知れぬ酒谷 愛郷
兄の木の静寂(しじま)を落下しつづけるみとせりつ子
幼子を抱けばあしたという匂い古俣 麻子
海は凪いで蒼い夜を持つ魚たち小林ひろ子
2017.7.3

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