新思潮No.150 2018年5月号より①
爺婆の鍬負う畑よ緋のさくら 大谷晋一郎
醒めて夜のさくらを溢(こぼ)す水枕大谷晋一郎
「爺婆」の句は、爺婆が鍬を背負って歩く畑の光景だが、この光景自体は昔の記憶の中の光景だろう。その景色の中に緋のさくらを咲かせて、一枚の絵に仕立てた。逆にさくらから記憶が手繰り寄せられたのかもしれない。さくらの緋色がそのときの情景に実によく調和している。この調和させる感覚が冴えている作者だ。  「醒めて夜の」の句は、水枕をする熱のある夜に目覚めては、さくらをこぼすというから、桜と同化してしまった作者の姿である。昼に見たさくらに憑りつかれてしまったようで、妖気すら漂う光景だ。〈岡田俊介〉
月光へ影ながながと荷を降ろす元永 宣子
身近な人を送ったのだろうか。逃げる事など出来ないさよならと向き合えるのは、真っ直ぐな瞳だけである。なればこそ逝く影も遺される影も己の事として受け止めることが出来る。時を経て、桜闇に続く長々とした影を認めた時、やっと悲しみを辿り直すことが出来る。〈岩崎眞里子〉
地球儀の海の広さとスクワット野邊富優葉
生命の源である海は、地球表面積の70%を占める。その海を、傍の地球儀から意識しつつ元気をもらい、スクワットに励むのだ。筋肉を鍛え、全身の〈めぐり〉を良くするスクワットは優れた健康法だ。ダイナミックな表現がそれにマッチしている。僕自身はこの明朗な句が心のスクワットになった。〈細川不凍〉
満開の桜 メフィスト現れる中嶋ひろむ
満開の桜は、年に一度、異次元の世界に行けそうな雰囲気がある。その雰囲気の中にいる自分も同様に桜に浮かれている。その情景に悪魔、メフィストが現われても不思議はない。メフィストは現れては、しばらく複雑な視線をあちこちに投げかけては、いつの間にか消えているのだろう。自分から出て再び自分の中に入ってしまうのを誰も気付かないのだ。あとには満開の桜があるばかりなのだ。悪魔の存在が非日常への入口にはちがいないが、そこからの行き先は人それぞれかもしれない。〈岡田俊介〉
玄関に春一番のおとし物 細谷美州子
日常を詠む中に、非日常の春一番を取り上げている。ただの風であっても、春一番といえば、特別の風という感がある。この句は玄関ドアを開けると、春一番が落として行った、どこかの何かが落ちていたという光景だ。春一番は、立春から春分までの間に、最初に吹く強い南風で、春の到来を告げる風だ。玄関前に落し物を残されようと、これからの春を待つ気持ちの方が強いだろう。〈岡田俊介〉
ゆで卵あなたは誰に変れるか福田 文音
雲ひとつ 春のかたちに成ろうとする板東 弘子
花手折り振りむく遍路に糸の雲西条 眞紀
膝を抱く姿と思う人の文字氈受  彰
十二時の境界線の無を跨ぐ山内  洋
さびしさはしまふくろうの生む夜更け鮎貝 竹生
舟歌流れる 春にゆるむ水あれば岡田 俊介
梅干の赤き文言はらからは松井 文子
今日一日が全てと思う花の跡越智ひろ子
とりあえず砕氷船に逢いにゆく澤野優美子
2018.5.28

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