新思潮No.151 2018年7月号より②
歩巾こそ大暑 わが顎の唯我独尊山内  洋
江戸時代には武士道と云うものがあって、「武士は食わねど高楊枝」とやせ我慢しながらも周囲を睥睨する男たちがいた。また、バサラと云う生き方もあって、天下の大道を闊歩する伊達男がいたり、なかなか男気のある社会であった。この句から、ふとそのような傾奇者の男を思った。顎を上げるのは、自信の表れで、傲岸不遜、ほとんど唯我独尊の生き方に他ならぬ。そんな男たちは滅びたのであろうか。〈古谷恭一〉
ここまでは魚座がゆるす水位なり澤野優美子
何とも洒落た表現だ。それもその筈、作者には元来、言葉の宇宙を自在に浪漫飛行する独自の翼が具わっているのだから。「ここまでは魚座がゆるす水位」は、大人も子供たちも安心して楽しく水遊びのできる「水位」と解釈したい。ファンタジー作家らしい読む者を夢見心地にしてくれる心象句だ。〈細川不凍〉
紙飛行機 哀しみほどき海に出る元永 宜子
私たちの鬱屈した心は、その心を代弁する形で、折鶴や紙飛行機を折る。そして、私たちの哀しみを空へ解き放とうとする。紙飛行機は、あくまでも人の心の仮託物なのである。しかし、紙飛行機の側からいえば、一枚の紙は、飛行機として折られた時点から、飛行機としてのいのちを持つ。一枚の紙に、感情が芽生える。でも紙飛行機は、本当の飛行機ではないので、哀しい。その哀しみを振りほどき、必死で空に舞い上がり、風に乗り、街や野原を越え、海に出る。そこで初めて、海の青さ、世界の広さを知り、紙飛行機は、一瞬の喜びと、偽造物としてのさらに深い哀しみを抱いて、その短い一生を終える。希望と絶望、喜びと哀しみが相和して、空に舞い上がり、紙飛行機の行方とともに消えてゆくのである。〈古谷恭一〉
少しづつ少しづつ積む花の皿 越智ひろ子
花の皿は、華やかなものを秘めた皿のように思える。幸せを積むように花の皿を積むのだ。〝花の皿〟という言葉を見つけて、感触のいい作品にした。自分の大切なものを象徴する〝花の皿〟を壊さぬように、年月をかけてゆっくりと積むのだろう。華やぐ皿を積んでいく様子は、優美なスローモーションのようだ。〈岡田俊介〉
止まぬ雨パトスの森へ迷い込む秋田あかり
パトスは、快楽または苦痛を伴う感情。一時的な心の動きをいう言葉だ。降り止まぬ雨に、森へ迷い込むように感情を昂ぶらせている。一句の中にパトスの語を採用して、作品の幅を広げつつ、その時の思いを伝えている。〈岡田俊介〉
土埃 確かにヌーの移動中古谷 恭一
待ちあぐみ崩れしものは名(な)無(な)しかな西条 眞紀
音立てて流れる朝の全音符岩崎眞里子
ガシャリガシャリ硝子の破片踏むごとくみとせりつ子
悼み終え母系を水の彼方とす杉山 夕祈
化かされた池に風ゆるゆると昏れて大谷晋一郎
畑をぶつ畑の匂いのする真昼新井 笑葉
本当の雨色さがすコーヒ館潮田  夕
人とのあはひに水のいろおしまず望月 幸子
流れ星ですかお一人様ですか中嶋ひろむ
2018.8.20

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