新思潮No.152 2018年9月号より②
さざんか散る朱のことのはのるいるいと吉田  浪
西山茶花さんへの追悼句。自生の山茶花の花は白色だが、園芸品種には淡紅、濃紅もある。句集『堆朱』の著者だけに山茶花さんはこの色がお気に入りだったのではないか。そう想うのは山茶花句を称える「朱のことのはのるいるいと」の美しいフレーズにも因る。高い美意識の持ち主だった山茶花さんも、この流麗な作品を悦んでおられるに違いない。〈細川不凍〉
牧歌的という領域に入る靴岡田 俊介
どこかしら心境の変化を感じさせる句である。長閑で牧歌的な自らの心象風景を眺めている作者がいる。この領域に入るところまで来たのだなという感慨でその風景を眺め、その前で立ち止まっているかのようだ。〈吉見恵子〉
わたり鳥一滴となり空濡らす酒谷 愛郷
空を行くわたり鳥が一滴となるところに、自然と同化してしまったかのような視線がある。その視線でとらえた心象風景なのだが、わたり鳥の存在感が覗える。空を濡らしたあとは、消えてゆくのだろうが、その一瞬の存在感が顕著なのだ。〈岡田俊介〉
シャボン玉太古の恵み繋ぎつながれ細谷美州子
太古の恵みという視点からの発想だが、シャボン玉の飄々と漂う姿にそれを見たのだ。シャボン玉が実はいろいろな恵みの積み重ねで生まれ、そこに浮かんでいるという発想だ。シャボン玉を、恵みを象徴するものとして使い、その自由さは、いろいろな恵みの賜物という思いが潜在する。〈岡田俊介〉
水滴に映るとすれば聖母像古谷 恭一
草の葉っぱから今にも一滴の雫が落ちそうである。私たちは水の惑星の住民。水はあらゆる生命の源なのだ。約六十パーセント(大人)の水分で出来ている人間にとって、この清らかな一滴には、慈愛に満ちた聖母マリアこそが映るに相応しく、尊く貴重なものであることを忘れてはならないのだ。〈吉見恵子〉
その人までの道は遠くて草の道みとせりつ子
母を泣く二十年後にやっと泣くみとせりつ子
前句、その人がその人となったのは、その人に至るまで何度も景色を変えて歩んできた結果なのである。「草の道」が、沢山の困難を表しているようである。後句、母と娘はその生きた時代や境遇の違いから解り合えない点があり、娘は批判ばかりする。やがて母を無くし、母の晩年の齢に近づいたある日、風船がパチンと割れるように急に理解できることもあるのだ。この「泣く」は、二十年もの時を経て、やっと理解できた母を素直に愛おしむ涙なのである。〈吉見恵子〉
黄蝶よ紋白蝶もいつから失語西条 眞紀
ほんのりと影でいられる四畳半福田 文音
時の日の秒針なぞる観覧車鮎貝 竹生
どれだけの言葉と雪を水の底姫乃 彩愛
手鏡に収まる蝶と相病みぬ細川 不凍
立ち位置を探し木洩れ日となる薄さ岩崎眞里子
酢漿草の実に叩かれて消える罪小林ひろ子
終の詩は遺さず蝉の鳴き初むる山辺 和子
抱きかかえ濡れた穂先をサヤサヤと富永 恵子
続編の空から匂う水瓶座澤野優美子
傷のある方を描いてやる林檎氈受  彰
2018.10.21

PAGE TOP