新思潮No.154 2019年1月号より②
昏々と雪女眠る私の肺に桂 由輝花
一面の雪景色を思わせる〝雪女〟が、自らの肺の中に眠るというところが、意外性があり、かつ新鮮なイメージだ。人間の中で雪景色を蓄えられるのは〝肺〟しか考えられず、〝肺〟なら、そこから広がる雪景色を想像することができる。この句は単なる雪景色に留まらず、〝雪女〟という魔性の存在を描き出して、物語性を創出している。〈岡田俊介〉
小舟にて 秋遁れれば逃亡者岡田 俊介
中・高生の頃、ワクワクしながら観たのが米テレビドラマ『逃亡者』。主人公の医師が無実の罪を着せられ、逃亡を繰り返すのだった。掲出句の場合はそれとは違い実人生からある期間、身を隠そうとの静かなる逃亡者である。隠遁を逃亡に喩えたのだ。無駄のない洗練された表現が、日本画を観るような美的情調の世界を創った。〈細川不凍〉
改行をつらねて結ぶこぼれ種岩崎眞里子
地に落ちた種を放置せず、色いろと苦労を重ねながら、最後には実を結ばせるのだ。表現の根底には、郷土色を大切にしようとする作者なりのこだわりがあって、それに応じた言葉の選択が為されている。また、「こぼれ種」を落胤と受け取れば、別の解釈もできる。どこぞのご落胤を、どうにかして陽の当たる場所へ導こうとする意図が感じられ、ドラマチックな展開も期待されるのだ。それはそれで愉しいのだが、僕自身は前者が好ましい。〈細川不凍〉
曇天を抱くアルミ貨をてのひらに新井 笑葉
「曇天」の句は一円貨をしげしげと眺めている様子だ。その一円貨が曇天を抱くというところに表現の工夫があり、曇天を抱くという少し暗い気分を反映させている。もちろん、一円しか価値がない硬貨が、華やいだ気分を反映させる筈もなく、それ自体が暗い感じのものでも、さらに曇天の重苦しさを抱いていて、どこかに悲哀を感じさせる作品だ。〈岡田俊介〉
来た道で零す鱗粉秋彼岸谷沢けい子
蝶の羽を被う鱗粉を、来る道の途中で零しつつ秋の彼岸まで辿りついたというのだが、鱗粉を零すという喩えが句の余韻を広げている。自分の鱗を落としつつ生きてきたという思いを秘めているようだが、鱗粉と言えば美しく、哀しい雰囲気につつまれる。残り少ない鱗粉を思えば、哀しさも一入であろう。〈岡田俊介〉
手品師はきっとあの日の万華鏡氈受  彰
手品師と万華鏡が直感的に似ているというのだ。しかも〝あの日〟というから、初めて覗いた万華鏡の驚きが、この手品師によって再現されたかのような感覚なのだ。二つの物を結びつける直感は、表現上、大切にしたいものの一つだ。〈岡田俊介〉
あてのない旅も秋ならPASMOなら古俣 麻子
異郷にて新月の爪よく伸びる鮎貝 竹生
夢殿へ続く土塀は秋のシナリオ山崎夫美子
月のしずくか喪のハンカチがぬれる中嶋ひろむ
滑走路 秋は愁いのそればかりみとせりつ子
金平糖の甘さころがす冬山(やま)下る大谷晋一郎
雪になる椅子と私と壊れたがって吉田 州花
あとはもう崩れるだけの冬の塔太田のりこ
いちにちは花咲くようにひらかれる西田 雅子
2019.2.23

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