新思潮No.157 2019年7月号より②
鳥は塒へ 私は窓を閉じてゆく吉見 恵子
夜が近づき、窓を閉めるときの思いであろう。その日常的な動作の中に見つけた 作品だ。鳥と対比させることで、自然の中の自分が表現されている。〝鳥は塒(と ぐら)へ〟というとき、夕闇が迫っている感じがある。その時刻には、自分もごく 自然に一日を終える窓を閉めるのであろう。自然な情景を詠みながら、余情を漂わ せる書き方だ。川柳作品は、テーマを設えて作ってもいいが、この句のように日常 の中の情景を取り出して、それを昇華させることも大切なことで、長く創作するに は欠かせない手法だ。〈岡田俊介〉
澄み上がるこの世の坂のひとしずく岩崎眞里子
天地替えいよいよ私となる書棚岩崎眞里子
惜しまれながら青森県川柳社「ねぶた」が七十年の歴史を閉じた。私も九年間お 世話になったが、作者はその編集などに長い間携わり皆を牽引して来た。その坂は どんな重さだったろうか。今はやり遂げた思いが体中に広がって、青空の澄んだひ としずくを味わっているのである。後句、これまでは「ねぶた」の資料やら毎月の 柳誌やらが真ん中に陣取っていたであろう書棚。今後は、本来の作者らしい知と精 神の詰まった書棚に戻るべく「天地替え」をしようと思っているのだ。〈吉見恵子〉
玉石は時の篩にダダイズム 野邊富優葉
優れたものの〝玉〟と、劣るものの〝石〟が混ざり合ったものは、篩(ふるい) にかけて、分けるべしとの思いが底流にあり、その篩には〝時の篩〟もあるだろう との思いである。混合物も〝時の篩〟にかければ、玉と石がはっきりとしてくる。 ダダイズムはどちらに分けられるのかは判らないが、川柳作品もこの〝時の篩〟か ら遁れることはできない。時代時代のトレンドがあって、時代を超えて生き延びる ことは難しい。〈岡田俊介〉
待ち針を遠くに打って螢狩り立花 末美
縫い止めのしるしに刺す待ち針を、遠くに打つ、つまり、終りをはるか遠くにし て、その途中で、螢狩りを楽しむという気持ちなのだ。そこだけの空間と時間とを 取りだしたような螢狩りである。終りの時間を遠くに定めるような〝待ち針〟を使 って、格別の空間にある〝螢狩り〟を創出したのだ。ゆったりとした空間で行う螢 狩りはなつかしくも尊いものだ。〈岡田俊介〉
縄文の土偶のごとく瞑らばや梅村 暦郎
縄文の土偶のように、深い瞑りにつきたいとの思いが覗える。かつて、青森の三 内丸山遺跡で、土偶を見たが、素朴な顔をして、確かに土の中に眠っていたように 思われた。この土偶のように、何も考えず、瞑りにつきたいとの思いであろう。〝 縄文の土偶〟の言葉が適確で、永遠の深い眠りを予感させている。〈岡田俊介〉
夏の野をでんぐれば雉でんぐればシシ大谷晋一郎
夜更けての予感妖精らしき影松井 文子
遠ざかる汽笛うつろのペペ・ル・モコ鮎貝 竹生
視界のはずれのわが一日やコーヒー五杯西条 眞紀
哀しみを燃やす焔のスペクトル氈受  彰
望遠鏡置いて太郎は行ったきり伊藤 礼子
甘納豆思い出たぐるいもうとと秋田あかり
友の忌が巡る菖蒲は七分咲き山下 華子
なりすましている不可思議な行く末重田 和子
わがままである一対の影は濃し新井 笑葉
2019.8.7

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